稽留流産と宣告されて、自然排出した記録〜その1〜

日記

2022年3月31日。わたしはこの日を絶対に忘れない。

妊娠12週6日目だったこの日の午後。

レストランでのランチタイムのバイトを終え、いつものように帰宅する途中だった。

むしろ、ちょうど近所の桜が見頃な時期だったので、帰宅する前に花見しようとわざわざシートを持参し寄り道計画までたてていた。それくらい、お腹の赤ちゃんが順調だと信じ、平和で幸せに満ち溢れていた。

本当に突然の出来事だった。

バイト先の最寄り駅で、違和感をおぼえる。

股から何かが出ている気持ち悪さを感じた。

トイレに駆け込み、青ざめる。

うっすらとだが、出血しているのだ。

しかし、出血は初めてだったが、ネットで色々調べると妊娠中の出血は珍しくないと書いてある。

(うーん、きっと大丈夫だろうけど、やっぱり心配だよなぁ)

そう思い帰宅と同時にかかりつけの産婦人科に電話した。

電話ごしに看護師と名乗る方から色々状況を聞かれた。

「出血はいつからですか?」

「一時間前くらいからです」

「痛みはありますか?」

「痛みは全くありません」

「痛みがないので多分大丈夫だと思いますが、念のためこれから病院に来れますか?」

「・・・これからですか?」

大変ありがたい事だったのに、この時すでにこれからどんな急いで用意しても診療時間外になるので(たいした事なさそうなのに申し訳ないな〜)と、まだ大ごとになるとは思っていなかった。

出血自体もたいした事なく、明日の朝に予約できればいいと思っていたのに・・・。

「すみません、よろしくお願いします」

そう返事しながら、なんとなくこの時胸騒ぎをおぼえた。

病院まで行く途中、わたしが妊娠している事を知っている数少ない親友に電話した。

「いきなり出血してんけど大丈夫かな?」

この時、わたしは不安で泣きながら病院までの坂道をのぼっていた。

「ああ、うちも妊娠中、時々出血してたで。わりと多いみたいやで。大丈夫ちゃうかな」

親友の言葉に一旦落ち着くわたし。

病院に到着して、診察に入った時もわりと落ち着いていたと思う。

しかし、その後、エコーでお腹の赤ちゃんをみていただき赤ちゃんの心拍が確認できなかったため「稽留流産」と告げられた。

世界が一変した。

稽留流産と告げられた翌日に書いた日記はこちらから。

稽留流産
今日で本当は妊娠13週を迎えるはずだった。ものすごく悲しい朝を迎えた。パパとまた朝からずっと大号泣していた。何でこんなに無限に涙が溢れ出るんだろう。二週間前の妊婦検診では、二回目の心拍数も確認できて赤ちゃんの体も前回の二倍...

赤ちゃんのサイズからすると12週前で心拍が止まってるとの事で、染色体の異常による流産の可能性が大きいとの事。だから「お母さんはどうか自分を責めないで」と優しい言葉を先生にかけていただいた。

そして、赤ちゃんがある程度大きく成長していたため、突然排出するリスクを考えると手術がいいのでは、と先生に言われた。

その場ではすぐに決められず、家に帰って考えさせていただく事にした。

病院でも声を出して泣いて、帰り道でも電車の中でも涙が止まらなかった。

信じられなかった。

翌日の4月1日、朝を迎えて(夢じゃなかったんだ)と絶望した。

そのままいつも通りバイトに向かう前、カバンにつけていたマタニティマークを泣きながらはずした。

(お腹にまだ赤ちゃんいるのになぁ・・・)

マタニティマーク、つけていた時もいつもカバンの内側に隠していた。それどころか、その時たまたま体調がよかった時などは普通席で子連れのお母さんに席を譲った事も何度かあった。

そんなふうに、いつも隠していたマタニティマーク。

それでもマタニティマークは、もし自分が貧血などで倒れた時などの緊急時、妊娠している事が分かるようにつけていた。

いつも隠していたマタニティマークを堂々とぶらさげて電車に乗ったのが3月31日、出血してその後「稽留流産」と宣告される産婦人科へ向かうあの時・・・

すでにお腹の赤ちゃんの心拍が止まっていた時だった。

続き

稽留流産と宣告されて、自然排出した記録〜その2〜
2022年4月1日。稽留流産と宣告された翌日。前日まで少量だった出血がどんどんと多くなって、体調もあまりよくない。朝、夫さんのサトル君から仕事中にも関わらず電話があった。ワンオペでラーメン屋で働くサトル君だ...

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