今日は、大晦日。
しかし、ゆっくり年越しできる雰囲気ではなく・・・
色々家族の事や先の事を考えて涙が止まらなくなった。
お互いの価値観が合わなかった?とかで、夫婦喧嘩にもなったし、一年のしめくくりの日は最悪な日になった。
この先、どうなるか分からないけど、いろんなつらい事を乗り越えて今まで生きてきた。これこらもがんばるぞ。
二階でご飯を食べた後、しばらくひとりで泣いていたけど一階に行くと泣いてる暇はなかった出来事が起こっていた。
これが介護か、と痛感させられる。
同級生の友人が、ちょっと前までお母様の介護をしていて、つらすぎるから一度見に来て漫画のネタにして、と言ってきた。
友人Nちゃんの気持ちが分かるよ・・・。
わたしは、27日の夜、実家に帰って来てから今日の今日まで避け続けていた事を初めて今日行った。
父のおむつ交換。
おむつはなんとか、父が自分で履ける、と母が言っていたので、さっきのさっきまで見て見ぬふりをしてきた・・・。
しかし、実際は父はおむつをちゃんと自分で履けておらず、股を包む穴に足をいれたりしていたらしい。
いつもこうなのよーと母は言う。
だからこそ、やはり、周りの助けが必要なのに、母も少しぼけてきたのか、ただ疲れ果ててしまったのか、これが日常だと言うのだ・・・。
わたしは、暖房のない洗面所で、はいつくばるようにオムツを替えようとしながらも、そのまま床で寝転んでおーいおーい、と母を呼ぶ父のおむつを替える事にした。
甥っ子姪っ子のおむつは数えきれないくらい替えてきたが、大人のおむつを替えるのは初めてだった。
お父さんのおむつを初めて替えた瞬間、気持ちが嘘のように軽くなった。
なぜなら、意外と平気だったからだ。
認知症が始まった父は、わたしが知っている父の面影はあっても、なんというかものすごく純粋な子供のように見えた。不謹慎な言い方かもしれないが、赤ちゃんのような大人、という印象だ。
おむつを父に履かせた後
「ここは寒いから部屋で寝よう、お父さん」
と言うと
「看護婦みたいな事言うなー」
と父が言う。ちなみに看護婦、という言葉は差別用語とかなんとかで看護師しか最近聞かなくなったので、なんだか懐かしい・・・。
わたし看護師さんみたいなの?とちょっとクスッと笑ってしまった。
「でも看護婦の方がもっと優しい」
父が続けて言う。
「よかったね、優しくしてもらったんだねー。病院また入院したい?」
ジョークまじりに聞くと
「(入院)しない! 病院の飯まずいんだ〜」
と父。
「でも栄養ちゃんとあるよ」
わたしが言うと
「そうだなー、三食ちゃんと栄養はあったなぁ」
としみじみしていた。
なんとか、父を寝室まで送り届けた後は父がリビングから洗面所、トイレにかけてもらしたおしっこのあとを掃除する。
なんだかお父さんに小さかった頃姉と一緒に迷路に連れて行ってもらった事を思い出していた。
まだ介護が始まったばかりだし、わたしなんておむつ替えて掃除したくらいで介護したなんて胸をまだはれる段階じゃないけど、父も母もわたしにとって大切だなぁと思った。
お父さんは、短気だったし嫌いなところもあったけど、根は優しいのは知っている。暴言吐かれたり暴力ふるわれた事ないからこそ憎めない。
お母さんは、穏やかで優しくて明るくて世界一大好き。
この親が以前とは違う状態なので、わたしがしっかりするしかないのだ・・・。
大阪にいる姉は、心を病んでいるので、頼る事ができないし、夫さんとも色々親の事で話し他、というか喧嘩になってしまったが、頼ってはいけないと思った。
今後、本当にどうなるか分からない・・・。
親を第一に考えたいわたしがいる・・・。
今年最後の投稿は、今年一年をゆっくり振り返りたかったのに、とてもじゃないけど振り返る余裕はなかった。
忘れてはいけないし、忘れられないし、毎日考えてる流産した赤ちゃんの事もゆっくり書きたかった。
今年一月に妊娠(この時すでに妊娠したかもと気づいていた)、二月上旬に判明、そして四月に流産。こう書くと、結構長い間お腹の中に赤ちゃんがいてくれたんだね。
毎日ものすごくさみしいです。
しんみりしたり、なんだか忙しい日記になってしまいました。
この日記はこっそりこちらに置いておきます。
(イラスト使い回し失礼します)
今年も一年ありがとうございました。
よいお年を。