4月4日は、忘れられない日だ。
三年前の今日、お腹のわが子を自然排出した日。
三年前のこの日の数日前、妊娠4ヶ月を超えて順調に育ってると思っていた矢先、突然の出血・・・そして「稽留流産」と病院で診断された。
今でも、人生で一番幸せだった時はいつか、と、聞かれたら「あの子」がお腹にいた頃だ。
そして、稽留流産と診断され流産したあの頃、人生で一番かなしい時となった。
人生で一番の幸せとかなしみを一度に経験した三年前の春。
あれから時間だけが、止められない川のように流れて、かなしい気持ちに蓋をするように日々生きてきた。
その後、不育症の検査にひっかかり(治療できる箇所は治療済み)さらに不妊にもなった。
結婚後わりとすぐの自然妊娠だったため、まさかその後、不妊になるとは思ってもみなかった。
が、しかし本格的に不妊治療をとてもじゃないができる状況、状態ではなく、妊活をあきらめて終活をぼんやり意識するようになった。
わたしにとって、終活は前向きに生きるためのものだ。
三年前、流産(死産)してから本当に大変だったのは自分はもちろんだが、家族のことも大変だった・・・。
わたしは流産後、心身ともに不調となり仕事もやめて無職になった。その頃、夫もパワハラに悩み、無職になり、なんと夫婦そろって無職に・・・。
その時のことを、別名でリアルタイムで漫画に描いてました。(まだ完結してませんが汗)
わざわざ別名で描いていたのは、誰もわたしの事を知らない場所でつらかった苦しみをぶちまけたかったから。
でも、中途半端にリア友や、緑丘まこ名義のSNSでも、ちらっと別名で描いた漫画の名前やタイトルを公表してしまったのもあり、もう統一してもいいかな、とも思っている。
本当は、別名で描いてる漫画が完結してから・・・とも思っていたけど。
別名で描いてる漫画。苦しかった時に描いたので、かなり暗いです。
なんとか立ち直り、去年の春から生活のために再び働き出して、うつ病もだいぶよくなったと思っていたが、振り返るとこの一年やっぱり度々うつの症状がぶり返して一週間以上や、数日間寝込むこともある。
なので、仕事は急に休んでも迷惑のかからない在宅ワークだ。やはり、うつ病になる以前のようにシフト制で働くのはいまだに抵抗があるのだ・・・。
ところで、三年前流産後いろいろ大変だったのは、わたし達夫婦のことだけではなく、姉や実家の家族もとても大変だった。本当に本当に、自分がしっかりして頑張らないといけない状況で、姉の相談を一番聞いていた時期でもあったし、実家に一番頻繁に帰っていた、帰らざるを得ない時期でもあった。
自分がうつ病でしんどい時期だったが、それでも家族の中で一番自分が家族のために気丈に動かなきゃならない状況だった。(現在は、状況がいい方向に向かってかなり落ち着いております。)
そんなこんなで、自分も家族もみんな大変だった時期に、ましてや自分が精神的にも体調面でも不安定な状態だったので、不妊治療はあきらめてしまったのだ。
子どもは大好きで、それは昔からも今も変わらないのだけど。
先日も、友人と友人の赤ちゃんとお花見したのだが、赤ちゃんがかわいすぎて終始癒されっぱなしだった。友人もとってもいい人で、おふたりから癒されて、元気を分けてもらったところだった。
赤ちゃんって、小さいのに何であんなにパワーがあるのだろう。子宝、という言葉があるけど、本当にその通りで宝だ。輝いてる。
お花見なのに、桜の写真一枚も撮る余裕がないくらい、赤ちゃんのかわいさに釘付けだった。
実は、この3年間、赤ちゃんと触れ合うことがやたら多い。夫の甥っ子や友人の赤ちゃん達・・・。
赤ちゃんや小さな子ども達がかわいすぎて、友人達大人そっちのけでメロメロになっていたわたしです。
姉が子どもふたり産んでくれて、甥っ子姪っ子はわたしにとっても宝だ。
流産直後は、妊婦さんや赤ちゃん見るとつらかった時期もあったし、その感情は流産を経験したらむしろ当たり前の事だと知った。
しかし、時とともにつらい気持ちがなくなり、以前のようにもとに戻った。これはわたしにとって楽だ。
もしかしたら不妊治療を始めていたら、また違ったかもしれない。子どもがいる方々と距離を置いてギスギスしていたかもしれない。なぜなら、去年仕事を始めた頃、不妊治療目的で病院に通い出して検査を受けた段階でものすごくしんどくなってしまったから。
精神的にやっとでさえ不安定なわたしが、頑張るのは難しかった。だからわたしは諦めたのだ。
終活を意識している今は逆に前向きだ。
終活すると決めた頃、同い年の親友が第二子を妊娠していると電話で教えてくれた。
なんて明るいニュースだろう。親友が幸せでいてくれることは、心からわたしの願いでもあり幸せでもある。
「終活? 何言ってるねん!」みたいな感じで友人が関西人らしい反応してくれたのも、気が楽だった。
わたしの話や日頃の悩みごとを、いつもただ聞いてくれる親友や友人達がいることが、わたしにとってどれだけ救われてるか。
わたしは、わが子に会うのをあきらめたけど、やっぱり昨日今日と三年前を思い出してしんみりしてしまう。
昨日は、うつの症状がかなりひどくほぼ一日中寝込んでいたが、三年前の春のことを思い出していた。
自分が稽留流産と診断されたのは妊娠12週6日目で、自然排出したのがその数日後である三年前の今日だ。
しかし、稽留流産と診断された時、臨時に診てくださった医師に「12週に入る前に成長が止まっている可能性がある」ことを告げられて、本来受けられる妊娠12週以降の流産・死産後のサポートの手続きをしなかった。
区役所に問い合わせた事があったが、曖昧な返事をされてしんどかったからだ。
しかし、去年、別件で再び区役所に問い合わせた時に、以前の職員さんとはおそらく別の方が対応してくださり、わたしにこうおっしゃったのだ。
「緑丘さんのケースは、出産一時金の対象になりますよ」
と。力強く断言してくださった。
別件で問い合わせしたにも関わらず、その後の手続きで、あっさりと妊娠4ヶ月以降の流産で本来受けられるサポート(出産一時金)を受け取った。
サポートを受けられる本当に期限ぎりぎりだった。
その際、自分が三年前お世話になった産婦人科の医師の証明が必要なのだが、全国健康保険協会の方が代理で確認してくださり、スムーズに手続きが完了した。
妊娠4ヶ月以降の流産でも、お腹の子の成長によってサポート受けられる受けられないの線引きがあやふやな場合も、実際あったとネットで知り、まさか自分がサポート対象であると流産後の約二年後知るとは思わなかった。
願うのは、このサポートの条件がちゃんと統一していてほしいし、もっと早く自分がサポート対象であると知りたかった。
流産直後なのに無理して働くべきじゃなかったのだ。ちゃんと、産休に入るべきだったのだ。
流産してから2年後の春に、「出産育児一時金」を受け取って、出産とやっと認めてもらった気がした。
ただ、この事は嬉しいような苦しいようなよく分からない複雑な感情だ。一時金は数十万の大金でとてもありがたいものだけど、一番しんどかった流産直後にサポートをすんなり受けられたらよかったのにな、と思う。
ちなみに、出産育児一時金のサポートを受けられたわたしのケースはこちら。
・赤ちゃんの心拍がなんの問題もなく、最後に確認できたのは妊娠10週4日目の妊婦健診。
・次の妊婦健診はこの4週間後の予定だった。
・順調に育ってると思っていた矢先、妊娠12週6日目に突然の出血、その数時間後病院で「稽留流産」の診断を受ける。
・稽留流産の診断を受けた数日後、13週3日目で赤ちゃんを自然排出。
・自然排出した赤ちゃんのサイズは、最後に正常に心拍が確認できた妊娠10週4日目より成長が進んでいた。
自分なりに調べたが、妊娠中の赤ちゃんの成長は本当に赤ちゃんそれぞれで、妊娠4ヶ月以降でも赤ちゃんの成長が平均に満たない場合もあるという。
稽留流産と診断されたのが妊娠4ヶ月以降なら、堂々とサポートを受けられる世の中になってほしい。(もうなっているのかな、現在は変わってるといいな)
去年、「あなたは出産一時金の対象です」と職員さんに力強く断言していただいたのだから、いい方向に変わっていると信じたい。
妊娠12週の境目で苦悩した方の記事に以前とても共感した。↓

わたしが流産した時のことを記録に描いた漫画はこちら。(kindle unlmited会員様は無料でお読みいただけます。)↓
つらかった事ももちろん描いたけど、あの子がお腹にいた幸せ溢れた頃の事も描いたので、今読み返すとお腹にいたんだ、とちょっと羨ましいような、複雑だけど不思議な気持ちにもなり、あの頃の自分が遠い存在に思えてしまう。
本当に幸せだったな。冬にお腹に来てくれて、一緒に春を迎える事ができた。
ずっとあの子と過ごした時間は宝物です。
ママのお腹に来てくれて本当にありがとう。ずっと大好きだよ。
初めて心拍を確認できたあの瞬間の感動は、ずっとずっと忘れない。
春はあっという間に来て、すぐに終わってしまう。
またあの子に会える季節でもあり、さみしい季節でもある。